特集のバックナンバーはココをクリック
「落人」 特集NO.4

十月歌舞伎座、昼の部にて「道行旅路の花聟」が上演されます。
今回の特集ではその道行で語られる浄瑠璃「落人」の聞き所をご紹介いたします。
この舞台は、舞踊だけで構成される「裏表忠臣蔵」の三段目に出ていたものを、「仮名手本忠臣蔵」に移行したものといわれています。緊迫した四段目の舞台の後に上演される道行は、ほっと一息付くことのできる華やかな出し物といえます。

落人道具帳 釘町久磨次氏所蔵
※釘町久磨次氏のご好意により掲載いたしております。無断転用を禁止します。
落人も
見るかや野辺に若草の
すすき尾花はなけれども
世を忍び路の旅衣
着つつ馴れにし振袖も
どこやら知れる人目をば
かくせど色香梅が花
散りてもあとの花のなか
いつか故郷へ
帰る雁 
まだはだ寒き春風に 
柳のみやこ後に見て 
気も戸塚はと吉田橋 

「仮名手本忠臣蔵」とは、“いろは”が習字の手本であるように、忠臣蔵の四十七士は武士の手本(人数も同じ四十七)であることを表します。 “落人”とは、今居住している所から逃れて(落ちて)行く人の事。また“道行物”とは、ある地へ達するまでの間を扱う舞踊劇を指し、男女が心中のために目的地へ着くまでの哀艶な情緒を中心とするのが普通ですが、恋の逃避行のようなものや、「吉野山」のように主従の二人連れのようなものも見受けます。

定式幕が開き、パラパラと雨音が太鼓で打たれています。
止めキを合図に浅黄幕が落ちると、辺り一面菜の花や桜で埋め尽くされた春の情景が現れます。
美しい景色の中、お軽・勘平両人が相合傘ならぬ一つの雨合羽を背負いたたずんでいるところから舞台は始まります。
早野勘平は塩谷(浅野)家の家臣。お軽は塩谷家の腰元、勘平はなぜか心沈みがちな表情です。

“落人も見るかや野辺に若草の”では春爛漫の情景の中、お互いを思う気持ちで演者は踊ります。人目を避けるような仕草も見受けられます。(唄出しからこの辺りまでは、清元の“梅川”から借用されている部分が多くあります)
“はだ寒き”はかけ言葉。「はだ(肌)寒き」「はな(花)寒き」。
物語の設定を江戸から鎌倉時代にかえているため、場所
も江戸ではなく、 “戸塚はと吉田橋”となります。

墨絵の筆に夜の富士
よそめにそれと影くらき
鳥のねぐらをたどり来る

夜明け前、墨絵のような夜富士に見とれ両人が決まります。

勘平詞 鎌倉を出でてようようと、此処は戸塚の山中、石高道で足は痛みはせぬかや
お軽詞 何のまァそれよりはまだ行先が思はれて
勘平詞 オ、そうであろう、昼は人目をはばかる故
お軽詞 幸いここの松かげで
勘平詞 暫しがうちの足休め
お軽詞 ほんにそれがよかろうわいな
何もわけ無きうさはらし
憂きが中にも旅の空 
初ほととぎす明け近く 

勘平は旅慣れないお軽をなぐさめるように、お軽のほうはウキウキと2人の旅を楽しむ様子です。

クドキ
色で逢いしも昨日今日
かたい屋敷の御奉公 
あの奥様のお使いが 
二人が塩谷の御家来で 
その悪縁か白猿に 
よう似た顔の錦絵の 

この曲には2ヶ所のクドキが有り、これより最初の山場(聞かせ場)です。

“色で逢いしも”は恋し合う二人が偲び会うこと。
“白猿に”とは七代目團十郎の俳号です。

こんな縁しが唐紙の 
おしのつがいの楽しみに 
泊り泊りの旅籠屋で 
ほんの旅寝の仮枕 
嬉しい仲じゃ 
ないかいな 

仮の宿で、部屋の襖絵が仲の良い鴛鴦(おしどり)の絵でしたので、自分たちも、あのように仲良くすごしたいと願っています。

空定めなき花曇り 
暗きこの身のくり言は 
恋に心を奪われて 
お家の大事と聞いたとき 
重きこの身の罪科と 
かこち涙に目もうるむ

勘平とお軽が逢瀬(今で言うデートでしょうか)を楽しむ間に、塩冶家では、主君の塩冶判官が切腹という騒動になっていました。不忠を働いた勘平は塩冶家には帰れない、ここで死ぬから自分を見とって帰ってくれ、とお軽を説き伏せます。
“暗きこの身”とは、お軽と逢っていた為、近習役でありながら主君の大事に居合わせなかった事で勘平は自分のことを卑下しています。

勘平詞 よくよく思へば後先のわきまえもなく、此処迄は来たれども、主君の大事をよそにして、この勘平はしょせん生きては居られぬ身の上、其方は言わば女子の事、死後の弔ひ頼むぞや、お軽さらばぢゃ
お軽詞 アレまたその様な事言わしゃんすか、私故にお前の不忠、それがすまぬと死なしゃんしたら、わたしも死ぬるその時は、アレ二人心中ぢゃと、誰がお前を褒めますぞえ、サ、ここの道理を聞き分て、一先ず私が在所へ来て下さんせ、父さんも母さんも、それはそれは頼もしいお方、もうこうなったが因果ぢゃと諦めて、ちっとは女房の言う事も聞いてくれたがよいわいな。

お軽は、自分も一緒に死んでしまったら、二人心中と世間に笑われてしまいます。それよりもこの場は一先ず私の実家(山崎?今ではサントリーウィスキーで有名な場所ですね)に行って、状況を見てお詫びをしましょうと勘平を説得します。

クドキ
それ其時のうろたへ者には誰がした
みんなわたしがこころから
死ぬるその身を
長らえて
思い直して親里へ
連れて夫婦が身を忍び
野暮な田舎の
暮しには
機も織り候 賃仕事
常の女子と言われても
取乱したる真実が
やがて届いて山崎の
ほんに私が ある故に
今のお前の憂き難儀
堪忍してとばかりにて
人目なければ寄り添うて
言葉に色をや含むらん

これより、この曲2番目の口説(クドキ)、聞き所です。“それ其時”“野暮な田舎の”と、太夫の気合いの入る所です。

「あたながつらい思いをしているのもみんな私がいたから。そんな勘平を見るのもつらい。それより私は機織などをして働きながら、あなたと一緒に暮らし、普通の女性の喜びを得たいと思っている。」と打ち明けます。
針仕事で糸に鬢付け油をつけるお軽の振りに拍手が来ます。お軽の説得に勘平はひとまずお軽の家に身を寄せる事を決意します。

勘平詞 成程聞き届けた、それ程迄に思うて呉れるそちが親切、一先ず立ち越え時節を待ってお詫びせん
お軽詞 そんなら聞き届けて下さんすか
勘平詞 サ仕度しやれ
お軽詞 アーイ
身ごしらえするその所へ

やっと勘平がお軽の実家へ行く事を承知した所へ、高師直の家来、鷺坂伴内が家来(花四天)を大勢つれて押しかけてきます。花道七三(花道の本舞台に近い所)より「ヤァヤァ勘平」と呼んだ後、三味線のノリ地という手で本舞台に来ます。この時鷺坂伴内は通称“壁塗り”という面白い振りをします。

伴内詞 ヤア ヤア勘平、うぬが主人の塩谷判官高貞と、おらが旦那の師直公と、何か殿中で、べっちゃくちゃ くっちゃくちゃと話合するその中に、ちいちゃ刀をチョイと抜いて、チョイと斬った科によって、屋敷は閉門、網乗物にてエッサッサ、エッサッサ、エッサエッサエッサッサとほかしてしもうた サアこれ烏鶉鷭、お鴨をこっちへ、鳩鷺葭切、ひわだ雁だと孔雀が最後とっ捕めえちゃ ひっ捕めちゃ やりあしょねえが、返答はサァサァ、サッサササ・・・勘平返事は丹頂丹頂

“ほかしてしもうた”とは、打捨てたの意味。

丹頂丹頂と呼ばわったり
勘平フフッと噴き出だし

伴内は高師直と塩冶判官とのいきさつを得意げに自分の名前(鷺坂)に因み、“鳥づくし”で吹聴します。怒った勘平と伴内の、滑稽な所作殺陣に付き立廻りになります。(お芝居では、“惣菜づくし”の場合が多いようです。)

勘平詞 よい所え鷺坂伴内、おのれ一羽で食い足らねど、勘平が腕の細ねぶか、料理あんばい喰うて見よ
大手を拡げて立ったりける
伴内詞 エ、七面鳥なもちで捕れ
花四天 ドッコイ
さくらさくらという名に惚れて
どっこいやらぬは
そりゃ何故に
所詮お手には入らぬが花よ
そりゃこそ見たばかり
それでは色にはならぬぞへ
桃か桃かと色香に惚れて
どっこいやらぬは
そりゃ何故に
所詮ままにはならぬが風よ
そりゃこそ他愛ない
それでは色にはならぬぞへ

勘平・お軽を捕まえに来た伴内と家来達は、勘平と派手に歌舞伎らしく、やや滑稽ではありますが、またきれいな立廻りを展開します。

お軽詞 こやつ殺さばお詫びの邪魔、もうよいわいナ
伴内詞 ヘェヘェもうよいわいナ
口のへらない鷺坂は
腰を抱えてこそこそと
命からがら逃げてゆく

ついに伴内は勘平に捕らわれます。お軽は殺生したらお詫びもしにくくなるから、離したらどうかと勘平に訴えます。開放された伴内は鷺のくちばしの形の様に刀を持ち変え下手へ逃げ込みます。

勘平詞 彼を殺さば不忠の上に重なる罪科、もはや明け方
お軽詞 アレ山の端の
勘平詞 東がしらむ
両人 横雲に
塒を離れ鳴くからす
かわい 可愛いの女夫づれ
先は急げど心はあとへ
お家の安否如何ぞと
案じゆくこそ道理なれ 

鶏が鳴き二人が我にかえると、遠くから明けの鐘が聞こえ、カラスが2羽鳴き連れ添って飛んでいきます。そんな2羽のカラスを見て、自分たちも早く幸せになれるといいなと願います。
一先ずお軽の実家に向かうのが嬉しいお軽は、勘平の身づくろいを手伝います。武士の魂である大小(刀)を渡されて腰にさした勘平は、はっと我に返り不忠を悔やみます。涙をこらえる勘平、なだめるお軽、ともに役者の腕の見せ所です。
演出によって、鷺坂伴内が再び登場し、勘平に挑みますが、返り討ちに合います。この時のやり取りは、勘平・鷺坂両役者がともに志向を凝らし面白い演出になります。

※演出・振り付けによって、内容が違う場合があります。ご了承願います。
【監修】 清元協会理事 清元栄志太夫